環境開発工業株式会社 Create the Future

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金髪を隠して面接に登場した青年の話

総務部 次長 安武 健一郎

今から約30年前、私は北の大地女満別空港に降り立った。道中の飛行機から大地を見下ろした時に見えた一面の畑、そしてその畑に大量に転がっている謎の丸い物体が今でも印象に残っている。それが「牧草ロール」だと知るのはしばらくたってからだ。

なぜ北海道に来たかって?当時高校生の私は人ごみを離れどこか遠くに行きたいと考えたからだ。どうせ行くなら一番遠くが良い。北は北海道、南は沖縄に行こう、と実に単純な発想だった。

そして、北海道の網走に面白そうな大学を見つけた。そこで私は4年間、食品について学んだ。とは言え、アルバイトや部活に明け暮れ、勉強が疎かになっていたのは間違いない。振り返れば、英語や中国語などの外国語をまじめにやっておけば良かったと後悔している。

4年間の学生生活を北海道で過ごし、ここの居心地の良さにすっかり魅了された私はそのまま北海道の食品関係の会社へ就職。初めての就職先であったが、大手会社による買収、親会社の事件、工場停止、工場の閉鎖など色々なことを経験した。私は3年半ほどで退職し、その後転々とすることになる。

当時はまだ若く、どうにでもなると思っていた。が、世の中そう甘くはない。ことごとく面接に落とされて「そろそろヤバいかも」と思っているときに面白そうな募集記事を見つけた。たしか、「OA機器リサイクル工場で一緒に働きませんか?」という内容だったと思う。元々物を作ることや分解することが好きだった私には「リサイクル」という言葉がとても魅力的だった。とは言え、当時はリサイクル業について何も知らず、リサイクルショップ関連としか思っていなかったが・・・。その時27歳の私は、金髪に簡易黒スプレーをかけただけでその会社の面接に挑んだ。結果は合格!すぐにでも来て欲しいとのことで喜んで入社した。それが環境開発工業である。

入社を喜んだものの、待遇はアルバイトで時給700円。必死に働いたが生活は苦しく、このままやっていけるのだろうかと自問自答する日々は続いた。それでも続けていけたのは会社の居心地の良さ、人の好さがあったからだろう。入社したての頃、会社全体のイベントで、ほぼ知らない人たちの中ひとり不安になっていたら、気さくに声をかけてもらい会社について色々教えてもらった。あの暖かさ、有難さは今でも忘れない。また、当時いた部署では朝まで飲み会を開いてもらったり、皆でキャンプに行ったりととても楽しかったのを覚えている。

私は契約社員、正社員となり、あっという間に20年が経った。現在は人並みの生活ができるようになり、この会社に入った選択は間違っていなかったと実感している。

環境開発工業に入社し、皆で必死に駆け抜けてきて、会社は確実に成長してきた。そして気づけば、この会社の平均年齢は46歳になっていた。必死すぎて今に至ってしまったが、圧倒的に次世代人材が足りていないという事態に陥っている。

環境開発工業はやる気と情熱があれば、学歴に関係なく管理職になれる。ある程度好きに仕事をさせてもらうことが出来るし、提案も受入れてもらえる。今の若い世代は管理職と聞いてタイパに見合わないと感じるかもしれないが、管理職になると自分が勤めている会社と社会をより深く理解でき、自分の意見が反映され、会社はもちろん世の中を成長させていく力となれる。これほど贅沢なことはないと私は思っている。知名度のある大きな会社でこの贅沢を味わうのは至難の業だろうが、当社なら暖かいサポートの中で成長することができる。これからの時代を担っていくのはあなたたち。それは間違いのない事実なのだから。

HPや、諸先輩方が書いたコラムなどを見て、少しでも当社の事が気になったら私まで連絡をしてきてほしい。

そう、金髪を隠し面接に登場した私は、現在総務部で人事を担当しているのである。