お知らせ
猫のパワハラ
業務部 業務2課 次長 野村 壮
「ねぇ、猫飼わない?・・・いや、お願い、野村家で飼って!」
現場から戻ってきた私に、当社のかあさんこと現取締役の佐々木が唐突に迫ってきた。理由を聞くと、営業先で駐車をしていた車のエンジン下に子猫が潜り込み、そのまま挟まった状態で走ってきたらしい。そしてその鳴き声は一向に止まず、「ニャンニャンニャーッ」と叫び声にも似た鳴き声に代わり、慌ててガソリンスタンドに入り救出してもいらい、そのまま引き取ってきたとのことだ。段ボールで簡易的に作られた猫小屋に入れられた子猫は、生後2か月くらいの真っ黒な、俗にいう「黒猫」だった。ダメもとで妻に電話をし、事情を説明。妻はあっさりと「いいよ!」と快く了解してくれたため、即日野村家で引き取ることになった。15年前のことである。
帰宅後、この子猫は「ミイ」名づけられ、家族の一員となった。先住猫2匹に加え3匹目の猫との生活が始まり、そしてなぜか私だけ疎外感を感じることとなった。この家の家長かつ命の恩人である私にこのミイは常に臨戦態勢で牙をむく。そもそも先住猫よりも態度も大きく、「昔から野村家にいましたけど?」という体で「あたしが一番偉いんだ」という肝の据わり方。そして私に対して一番敵対心をむき出しにし、そのファインティング・ポーズはミイが亡くなるまで変わらなかった。
「私は一体コイツに敵対視されるくらいのことをしてしまったのか?」
と自問したところでまったく身に覚えがない。何度も言うが、私は命の恩人なのだ。私の記憶になくてもきっとミイなりに思うことがあったのだろうとは思うが、今でもなんとなく釈然としない、言われなきハラスメントであり、思い出すとチクリと胸が痛い。
「言われなきハラスメント」ということを今の私の仕事で考えてみるとパワーハラスメント、俗にいうパワハラという言葉が浮かび上がる。この言葉が世に出てきたのは2001年頃、私が当社に新卒で入社した数年後に出てきた和製英語だ。そして気が付けば入社25年、部下8人を持つ部門長としては、常に意識しなければならない言葉でもある。
私が入社した時は父親と近いほどの年齢の先輩がたくさんおり、俺の背中を見て仕事を覚えろという時代だった。今考えるとマニュアルも皆無、口頭で軽い説明を受け、無茶ぶりともとれる指導だったと思う。しかし学生から社会に出て仕事をする、給料を得るということはこういうものだと何の疑いもしなかった。理不尽だと思ったことは心に留めておくこと当たり前だった。当然パワハラなんて概念はこのころなかった。
令和のこの時代、これが通用する訳は当然ないし「俺の時代は」なんて昔話をしたところでなんの武勇伝にもならない。いかに丁寧にかつ手順書を用いて、何度もOJTを繰り返し、事故なく安全に作業に向き合う。これが仕事の定石だ。それでも、ここに権力を振りかざした言動ともとれてしまう言葉使いに加え、上司、同僚、部下の関係に信頼がないと「パワハラされた」となる。テレビを始めあらゆるメディアでパワハラの加害者とされる人々の発言内容は「そんなつもりで言ったわけではない」「冗談のつもりだった」「指導の一環で」というものだ。
しかし、パワハラの被害者とされる人は加害者が思う解釈とは真逆だ。この解釈の差を埋めるのは、日頃のコミュニケーション以外にないと思う。昨今のSNSやメール時代、限りなく会話は少なくなり、相手の表情や感情、心情が見えてこないことも多い。これが現代なんだと片づけるのは簡単かもしれないが、それでは人間関係は崩壊し、組織も機能しなくなってしまうのではないだろうか。そしてパワハラと思われてしまう出来事が生じてしまう。
そんなことをひょんなことから出会って家族として迎え入れたミイが教えてくれたような気がする。ペットは人間とは違い言葉を発しない。ミイの臨戦態勢の理由は態度や鳴き声から探り、何を求めているかを考えてあげる必要がある。残念ながらミイの真意は最後まで分からなかった。真意がわからないから、今でも解決できていない出来事として私の中にしこりとして残っている。
猫とは違い人間には言葉というツールがある。年代、性別、役職や立場で発する言葉は異なるかもしれないが「伝えたい」という気持ち、心に込めた会話はきっと違いを乗り越える。これを私は大事にしたい。パワハラを含めた人と人とのすれ違い、トラブルは、すべてとは言わないが、日ごろの丁寧なコミュニケーションが不足していることに端を発するのだと思っている。
結局最後までコミュニケーションが取れなかったミイ。こんな思いはもうしたくない。私は仲間との人間関係を常に意識し言葉を大事にすることで、パワハラの加害者、被害者という関係性をなくしたい、心の傷を誰にも生じさせたくないと心より思う。