お知らせ
廃棄物は文化だ。
事業企画室 室長 頭川(ずかわ)敏夫
昨年10月より北海道で暮らすこととなった。南は九州・福岡から北は東北・仙台、加えて大阪、和歌山、東京での勤務経験はあるが、この地は人生初。辞令を受けた時の戸惑いは…「ない」と言ったら噓になるが、一方でワクワクするのも毎度のことだ。新しい土地の文化・風習などを感じ、これからどんな生活が待っているのだろうと想像して楽しい気持ちで赴任する。そして去年10月からは北の大地北海道。素晴らしいゴルフ場と温泉を満喫しながら、仕事にも趣味にも向き合う日々だ。
環境開発工業の仕事に携わるようになり、各地で廃棄物の扱いが違っていることに気が付いた。
福岡市:
ゴミ出しの時間は日没から夜12時まで。ゴミは夜中に回収される。日中の交通渋滞を避けるために始めた制度らしいが、ゴミの散乱(カラスの被害)も少ないという。夜中の回収はとても良いルールだと感じた。夜中のゴミ回収の背景には…日本最大級のお祭り「博多どんたく」や「博多祇園山笠」に命を懸けているような土地柄。お祭りの期間は大がかりな交通規制を行なっていることも関係しているような、していないような。ただし、自治体としてはコスト高となるようだ。
鹿児島市:
桜島の噴火による火山灰を入れる袋が各家庭に配られ、捨て場が決まっている。火山灰の影響は少なくなく、風向きによっては街を歩いていると口の中がジャリジャリする事もしばしば。そんな環境だからこそ薩摩隼人のような精神力強めの人材が育ったのかもしれないな、と火山灰の功罪にぼんやり思いを巡らせた。地域によっては屋根付きのお墓が主流であり、火山灰は「あるもの」として生活の一部として溶け込んでいる。
仙台市:
びん、缶、ペットボトル、乾電池は袋に入れず、市が用意した回収容器に投入。「おさるのかごや」の音楽が流れる専用車で回収される。「おさるのかごや」は、運ぶイメージがあることと誰にでも親しみがあることが理由での選曲だろう。この曲が流れると「あ、廃棄物回収が来たな」となり、当時の私はすっかりパブロフの犬状態であった。
そして、この北海道。
一番驚いたのが「ゴミ捨て場」を「ゴミステーション」と呼ぶことだ。この呼び名で想像すると、駅のような広大な集積場所があり、そこまで遠路はるばる運ばなければならないのか?と思いきや、自宅最寄りの捨て場をステーションと表現する。北海道の広大さがそうさせるのだろうか。
私が今住んでいる北広島は、隣の札幌市に比べると分別は更に細かい。これは、北広島が自前の焼却施設を持っていないからだ。資源にできないものは埋め立てるしかないので、分別がゴミを減らすための有効な手段。市民にもきちんと理解されていて、当たり前のように皆しっかり分別する習慣は素晴らしいと思う。
廃棄物の扱い方だけでなく「ゴミを捨てる」という表現も地域により異なる。北海道、仙台では「ゴミをなげる」と言う。大阪、和歌山は「ゴミをほかす」、福岡は「ゴミをほたる」と言う。地元民には当たり前でも転勤族の私は当初何を言っているのかが理解できなかった。これだけ交通網が発達して人の行き交いもさかんになったのに、「ゴミを捨てる」にはまだまだしばらく統一されそうにない。それだけその地の人々に根付いているということだろう。
廃棄物は人々の生活と文化を色濃く映し出す鏡である。大学生なら「日本の地域特性が廃棄物文化に与える影響と考察」なる論文がかけそうだ。廃棄物を扱う環境開発工業が「お客様に寄り添う」をモットーとしてきたことも、廃棄物が人々の暮らしと深く強く関係しているからだと思う。そして、それに思いを巡らせる私も当社の主業に馴染んできたということだろう。
近江商人の経営の考えに「三方よし」という言葉がある。売り手、買い手、世間の三方の満足、三方への貢献を図るというものだが、この「満足・貢献」は相手の根底にある思いや習慣、大切にしているものなどを理解してこそ達成できるものだ。買い手はもちろん、世間を深く知らねばならないのは、どのビジネスにも共通していることで、廃棄物業に携わる環境開発工業でも特に強く意識されることだろうと思う。
当社主業に関わってまだ1年の私だが、今までビジネスマンとして経験してきたことは、この地での三方を理解する上で糧になると思っている。自分にしかできないこと、強みを生かして新たな事業を生み出すことへの挑戦。それが縁あって北海道にやってきた私に課せられた使命である。お客様を始めとする地域、社会、あらゆる世の中から必要とされる存在として向き合っていきたい。